まゆりん気まま日記

医療ネタ中心ですが、日々思うことや心のアンテナに引っかかったことなど、 気ままに綴っています。

Category :  医療・健康
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順天堂大学病院に、がん哲学外来を試験的に設置するというニュースを見たのは、去年のことだったと思うけどかなり興味を惹かれた。

その名前を聞いて、「なるほど」と思ったことを覚えてる。

22日、その外来を始めた樋野先生の講演を聞いた。

病理学者としてがんとはなんぞや、みたいな話も興味深かったのだけれど、

〇何を言うかじゃなくて誰が言うかだ
〇ただ、話を聞くだけじゃなくて、言葉をあげる

というふたつのことには思わず賛成!と手をあげたかったよ。

「何を言うかじゃなくて…」というのは、つい4・5日前のこのブログに私自身も書いた言葉だったからだ。
たとえば、「がんと言われて不安なんです」とだれかが言ったとして、「そうですか、不安ですよね」と相槌を打ってくれる相手が、元気100%の人だったら、申し訳ないけど「あなた何がわかるのよ」と心の中でつぶやいたという人は多いわけだ。

そうかと思えば、たとえ同じことを言ったとしてもたとえば専門家と言われる人が言うのと、素人が言うのとでは、受け手の感じる言葉の重さやありがたいと思う気持ちは、全然違うわけだ。

でも、私は、その「誰が」というとことに、それを言ってくれる人の背景や属性や立場とか、そういうんじゃなくて、「ひと」としてどんな人が言ってくれた言葉なのかで、重さを感じたいと思ってる。


それから、もうひとつの「言葉をあげる」ということ。

対人支援にはいろんな形があって、カウンセリングというはその支援の方法のひとつ、と私は理解しているのだけれど、その人の中にある答えを見つけるためのプロセスにつきあうというイメージ。

私もボランティアや仕事でがん相談という形で支援活動をさせてもらている中で、自分のしていることはまさに「その人の中にある答えを見つけるプロセスにつきあう」とことだと思ってた。でも、どこか、それでは少し足りないんじゃないかと思ってもいる。

もちろん、答えはその人の中にあるということは絶対的な基本ということに変わりはないし、「話を聞いてもらっただけでも楽になった」と言ってもらえたらそれでよいのかもしれないけれど、でも、その人の中にある不安や恐れと向き合って過ごす時間を、ほんの少しでも和らげられる何かを一緒に考えたり小さな拠り所になる言葉を一緒に見つけたいと思う。

樋野先生が、講演の中で、ただ、話を聞いてあげて、そこでは、ああ良かったと思うかもしれないけど、家に帰ってまた一人になったら、同じことで悩むに決まってるから、やっぱり支えになる言葉や拠り所になる言葉をあげるんです、ということを言っていたけど、私もそう思うのだよ。

私は、不安や恐れや哀しみを和らげるためのよりどころになる言葉をたくさんの人からもらい、私の心の引出しに大事に入れてある。樋野先生のようなわけにはいかないけれど、私は私なりに、言葉をあげられるようになりたい。
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テーマ: - ジャンル:心と身体

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